胸宇宙 ENDLICHERI ☆ ENDLICHERI Documentary (期間限定生産)

  • 2007.04.04 Wednesday
  • 01:45
評価:
ENDLICHERI ☆ ENDLICHERI
RAINBOW☆ENDLI9
¥ 2,990
(2007-02-14)
覗いてみたら・・・見えてきた、見えてきた
生き方 色 価値観 好み 立ち位置 感覚 オリジナリティ アイデンティティ(存在価値) 想い 感情

揺すってみたら・・・出てきた、出てきた
音 ことば 匂い グルーブ リズム 息遣い サービス精神 気遣い お茶目さ ぬるさ ゆるさ 溜め 遊び 粋 意気 余裕 

飛び込んでみたら・・・感じた、感じた
エネルギー 愛 光 大きさ 強さ 優しさ 弱さ ずるさ したたかさ 暖かさ 情深さ


無限大に広がるENDLICHERI☆ENDLICHERIの胸宇宙、これから何が生み出されていくのだろう・・・ワクワク、ドキドキ・・・。

ENDLICHERI☆ENDLICHERI語録 〜2006年 The Rainbow Star 再追加コンサートより

  • 2006.11.14 Tuesday
  • 00:07
10月29日にENDLICHERI☆ENDLICHERIの再追加コンサートが終了した。
今回もまた、再追加とは言えないくらい新しい趣向を加えて盛りだくさんの内容で彼の音楽や世界観を表現してくれた。
何度か足を運んだコンサートから受け取ったこと、感じたことはたくさんあるが、頭の中がまだ全然整理し切れていない。ただ、今回は最後のMCが毎回とっても印象に残った。だから私が感じたことをいろいろ書くよりも、ライブの余韻がなくならないうちにENDLICHERI☆ENDLICHERIがMCで語ってくれたことの一部をここになるたけそのまま残しておきたいと思った。(但し、彼が発することばの一字一句をたがわず再現したくてもできなかった部分があることお許しください。)
ミュージシャンとしての彼の更なる発展を、そして、彼の次のライブがまた「たくさんの愛を奏で、愛を循環させる空間」であるよう祈りながら・・・。

☆10月11日☆
愛にはいろんな愛がある。それをわかった上で愛を表現したい。
言葉や詩に責任をもてないまま、(自分の作品を)表に出すのはどうか、など・・・いろいろ考えるが、決してそれは後ろ向きな気持ちではない。音楽で愛を表現することに決めた。自分の音楽で世界を変えられるなんて大それた想いは抱いていないけれどここに来てくれた皆さんが少しでも変わったらいいな、そんな風に思っている。

人嫌いになって苦しんでいた僕を救ってくれたのが音楽。
でも、音楽は紛れもなくその「人」が作り出したもの。
音楽で愛を伝えよう。音楽を通じて愛を放っていきたい。
愛は難しいもの。愛するがゆえに人を傷つけてしまったりする。
今の世界は愛がとってもゆがんでいると感じる。そのゆがみを減らせたら・・・。
人は愛を伝えるためにいろいろな行動をする。
でも、それ以前に愛は人の心にあるもの。それを感じて欲しい。

☆10月15日☆
歌で愛を表現して、人生を切り開くのが正しいことなのかわからないまま、模索して試行錯誤している。

一人一人完璧だったら、愛はここまで歪まない。でも人が完璧でないからこそいろんな愛がある。

僕にも守らなければならない人や愛する人がいる。人間は誰しも愛につつまれ生きている。愛は複雑で難しくてすばらしいもの。

生きていられる、声を出せる、景色を見れる、触れて何かを感じれることの幸せ。

ここ何年か涙が流せない。悲しくても涙が出ない。
今は涙を流してはいけないんだ、いつか涙を目いっぱい流せるときが来ると思っている。

いろんな自分に会いながら今もこうしてここに立っている。
ここに来ているみんなの愛が違った形でステップアップしたらいい。
ステージで拾った愛があったらそれを役立ててください。

☆10月19日☆
音楽は人が生きているからこそある文化。
ちょっと前は正しい愛はこうなんだと歌いやすかった。
愛を歌うとき、自信のそばに、不安や葛藤がある。
愛は複雑で、可愛がりにくく、食べにくい。
愛は難しいときを迎えている。
愛を歌うことに責任は感じつつも、不安と葛藤がある。
僕が投げかける愛が役に立てればいい。
皆さんが自分と関わってくれたことに感謝している。

決して、いい人ぶりたいわけではなく、ただ愛は難しい。
愛を責めたり、攻撃するべきではない。
愛を一歩下がってみて考える必要がある。

愛をどんな風に育てていくのか。
最後自分の愛がどんな色なのかを決めるのは自分自身。
人として愛らしいものに変わっていけたらいいな。
僕がここで投げかけた愛を、今度は皆さんが周りの人に分けてくれたら嬉しい。

☆10月21日☆
すべての愛を食べることはまだできない。
愛が欲しいくせに愛を拒んでしまう。
自分が愛ばかり放出していると愛を充電する場がない。
ただ、今の自分が懸命に生き、戦う、愛を歌う。それが使命だと思っている。今日の僕から愛を拾ってくれたら、それを愛する人に分けて愛の種をまいてください。

目に見えないもの、昔の人が空想上の生き物や神を信じたように、僕たちもそういうものを信じたい。
人を優しさでつつもう。目に見えないものこそ、愛で形にしてください。

☆10月28日☆
自分の胸の中にある何かを探すために
鍵盤に指を走らせたり
声を出してみたり
いろんなことをやっている自分がいる。

人でありながら
人を怖がり
愛を拒み
優しさに震え
数々の暗い部屋の中を行ったりきたりしながら
自分を探していた時期が随分あった。

その時間は
人だからこそ体感しなければならなかった時間だったのだと
今は思う

今、涙を流せないことに対して
自分がかわいそうだとは思わないが
いつか本当に美しい涙を流せるときが来ればいいな
そんな風に思う

自分が歩いてきた過去
踏み続けている今
またごうとしている未来 がある

僕の歌で世界が変わるなどという大それたことを考えているわけではないが
今日の僕の様々なエネルギーが
皆さんの生活の中にある愛の花を探すエネルギーになってくれればいい

今日ここに来てくれた皆さんが僕の愛を拾ってくれたら
その愛をつなげてください
最後まで愛を持って
自分らしく戦って
愛に生きて
愛に死のう
そうすれば生きる意味がもっと生まれる
そんな気がします。


「切り口」の妙を楽しもう。〜ENDLICHERI☆ENDLICHERI 再追加ライブを前に。

  • 2006.09.19 Tuesday
  • 22:31
明日9月20日からいよいよENDLICHERI☆ENDLICHERIライブの再追加公演が始まる。3月にライブを始めたときには彼自身この展開は予想していなかったことだろう。
春の公演(第一ステージ)、追加公演(第二ステージ)ともそれぞれ趣向を変えてファンを飽きさせない味のある素敵なライブだった。だからこそ第3弾があるのだと思うが、明日から始まるライブで彼がまたどんな演出をしかけるのかとても楽しみだ。
そこで、今日は春の公演(第一ステージ)、追加公演(第二ステージ)をふまえつつ、明日からの彼のライブについて考えてみた。

第一ステージ。
彼の中に今好きな音や音楽への大きなこだわりがあり、だからこそそれを余すことなく伝えたいという気持ちが強かった。そしてそれをファンク・ソウルにアフリカを初めとした民族的な匂いを加えてうまく表現した。彼が求めているのは、愛のある、体温を感じる人間くささ溢れる社会。彼はまた、現代社会に今一番それが必要なことも頭でなく体で感じている。だから音楽でそれを表現しようと必死になっていた。ライブを見ながらそんな彼の強くて熱い気持ちを感じた。

第二ステージ。
歌を通して伝えたいことには変わりはないと思ったが、表現方法をがらりと変えてきた。最初から最後まで語りなしで、ショーの要素たっぷりにライブは進んだ。そこにはソウルファンクショーという誰もしていないことに挑戦してみたいと言う気持ちがあった。
その結果、お洒落感覚が加わった。歌だけでなく彼がいままで「アイドル」として培ってきた踊りのセンスを存分に使って、体全体で「愛」を表現。その分言葉で話して表現する時間は削った。その結果、人によって好き嫌いは出たかもしれない。ただ、ショーとして十分見ごたえあるものに仕上がっていたとは思う。「踊れる」アーティストはそんなにはいないしこれからもそうは出てこないと思うのでこの演出は貴重だと思った。彼しかできないことを見せてくれたのだから。

第二ステージの最終日公演。
参加することができた私は本当に幸運だった。それは最後の最後に、いままでと大きく違う意味を持つステージになったから。
今回のライブでは彼は、とことん「今、好きな音」にこだわり、以前に作った「堂本剛名義」の曲は全く曲目に入れていなかった。
その彼がダブルアンコールで、「街」と「Original Color」を歌った。リズムは今回のライブの雰囲気に合わせてアップテンポな新しいアレンジだったが、この2曲は彼のソロ活動の原点とも言うべき曲。そこに彼の新たな想いを感じた。
曲を歌い終えたあとに彼が言った。
『2年前の【Si:】のコンサートでも100%は思ったことができず、まだ納得いかなかった。だから、ソロコンサートの話が来てもそのあとしばらくは機会をうかがっていた。自分と言うものが説明できない状態で「音」を鳴らす、「ことば」を鳴らすことはもう嫌だと思ったから。だからこそ、その頃作った楽曲を今やるのはどうかと思っていた。でも今回ライブをしていくうちに思った。「過去」にも「今の自分」がいる。そして、今の自分に「Original Color 」は作れない。過去を振り返るのは好きではなかった。けれど過去の自分が今の自分を連れてきた。そしてそれは未来にもつながっている。そのことに気がついた。』

いちファンとして、前向きにつき進んでいる彼の姿を見るのはとても嬉しかった。でもライブでの彼の話には過去に作った曲のことが出てきていなかった。「過去の曲についても自由に話したり、歌ったりして欲しいな。」なんとなくそんなことを漠然と思っていた。
だから、たくさんの思い入れがある「Original Color」と「街」を歌ってくれたのは本当に嬉しかった。たくさんのライブをしながらいろんな想いを抱いて大きな自信をつけ、さらにアーティストとして大きくなった彼を感じたから。

追加公演最終日のダブルアンコールで「堂本剛」名義の2曲を歌い、今後はそれもありだよということを示して、第三ステージとなる再追加公演の方向性を匂わせた彼。
思うに、今度は、過去も今も未来も含めてとにかく彼が自分の中に持っているあらゆる音楽を表現しようと試みるのではないだろうか。
そしてその結果、さらにいい意味でジャンルレスになる気がする。
彼が持っている「音楽へのこだわり」をどういう「切り口」で発展させるのか、本当に楽しみだ。そして、再追加公演が成功するかどうかはそこにかかっていると思う。

"Good Luck for your music world, Cheri!"

ENDLICHERI☆ENDLICHERIが放つアートな世界。

  • 2006.07.27 Thursday
  • 02:33
7月5日から第2弾がはじまったENDLICHERI☆ENDLICHERIの公演。
第2弾はまた新たな試みで臨んでくれているようだ。
第1弾の感想を書こうと思いながら大分日が経ってしまった。
勿論、ライブ音楽を体に受けて感じたことはたくさんあった。元気もたくさんもらえた。だから尚更想いが強すぎて音楽についてはまだ書く準備さえできていない感じ。
ただ、ENDLICHERIのライブに行って心が温まったのは音楽からだけではなかった。ENDLICHERIがつくりだした空間全体に広がるアートな世界、こちらにもやられた。だから、今回は彼がつくりだしたアートをできるかぎり写真で紹介しておきたいと思う。

横浜駅から程近い、みなとみらい21地区のはずれに建つ、エンドリウォータータンク。



みなとみらい線の最寄駅、新高島駅にはコンサートの宣伝幕が。



会場入り口の両側の外壁にはエンドリケリーの大きな写真。古代魚愛好者の方が喜びそう。



会場ロビーの天井は紫の天幕が張られている。ちょっと不思議だけどなぜか安らぐ空間。トーンにもよるのだろうが、紫がこんなに心を落ち着かせる色だとは思わなかった。



トイレの入り口に置かれたキャラクター・さんかくくんのオブジェ。この微妙なシュール感がたまらない。



ここはどこ?



エアコンまでもが・・・。



CM出演中のビーゴもこんな具合に。上に乗っているのは、本人を模した人形。ナンバープレートに思わず笑いが・・・。



ホワイトボートに書かれた直筆のメッセージ。彼の想いを感じられるから、やっぱり感激する。



夜になるとソメイヨシノがライトアップ。



販売されたパンのデザインも食べるのがもったいないくらいひとつひとつ
ユニークだった。
新曲「RAINBOW STAR」発売を記念し、途中から販売になったレインボースター。メロンパン味とブルーベリー味の二種あり?



「ブルーベリー」にちなんだ、ブルーベリー・クランベリー。他にもジャーマン・ポテト、ティラミス、焼きカレーなどなど。三角形がかわいい。



実際、こういった演出全般にどこまで具体的に彼自身が指示を出していたのかはわからないのだけれど、少なくとも個々の演出仕事を請け負った人は彼の描きたかった世界をきちんと理解してくれたんだろうなと感じられるほど、そこには見事にENDLICHERIのアートな世界が創出されていたような気がする。
だからこそ、そこに彼の楽しい想いが感じられ、その空間に入っただけで暖かい気分になった。
ライブの無い日に一度だけパンを買いに行ったが、買った後でベンチにしばらく腰掛けてビデオを見たり、友達と話したりしてそれがなんだかほっとしてとても楽しい時間となった。そのとき、こういうライブ会場ってあんまりないだろうなと思った。
第2弾での空間演出はどんな風になっているのだろう。ENDLICHERIの芸術表現はとどまるところを知らない勢いを持っている。それが今後どの分野で展開されていくかわからない。だから目が離せない。

逆向きのサブカルチャーの行方〜ENDLICHERI☆ENDLICHERIへのエール

  • 2006.03.22 Wednesday
  • 02:23
以前、私は『アイドルからアーティストに進化中の彼に注目!』というタイトルでブログ記事を書きました。
堂本剛君自身が生み出した音楽や詩の世界にファンの一人として触れ、それがアイドルの世界とはまったくかけ離れていたことに驚きながらも、むしろそちらに共鳴した部分が大きかったので彼のソロ活動をますます後押ししたくなった気持ちをブログに書き込んだのでした。
それから約2年がたちました。
その間に目覚しい進化を遂げた彼は「堂本剛」というしがらみをさらに取り払うべく、ENDLICHERI☆ENDLICHERIという名で新たなソロプロジェクトを発進させました。
新しい名前を自分に冠し、今までとは違ったプロモーション方法で活動を展開する彼の姿に、苦しみもがきながらもここまで漕ぎつけたアーティストとしての意気込みとこだわりを感じて私はまた嬉しくなりました。
ただ、いちファンの勝手な思い込みかもしれないですが、まだまだまだ彼の思い通りには行っていない部分も多いかなあと感じる部分もあります。
音楽や芸術全般に通じているわけでもない私がやみくもに剛君について論じるのはおこがましいことなのかも知れないのですが、彼のソロ活動応援の一助になればと思い、今回感じたことをまた書いてみることにしました。

「逆向きのサブカルチャーの行方」

「堂本剛」ことENDLICHERI☆ENDLICHERI(以下ENDLIと書きます。)の音楽は難解な「詩」とちょっと癖のあるメロディーが特徴的である。引き込まれる人には一度聞いたら癖になるタイプの音楽だが、万人受けする色あいを持つものではない。それはきっと作品を作り出している彼自身が一番理解していることだろう。
だが、すでにタレントとしての知名度を確立した彼の作品がひとたび世に出るといかにもそれが「主流」(万人受けするもの)であるかのような取り上げられ方をされる。そして本来そういった作品が好きであるはずの人を遠ざけてしまうという皮肉も生じる。
このことを彼自身が理解していたからこそできる限りその皮肉の度合いを減らしたいと考えて作ったのが今回のENDLIなのだろうと思う。
「堂本剛」自身をできるだけ隠し、アーティストの部分をできるだけ前に出そうとしているCDジャケットのデザインからもその姿勢が十分うかがえる。
だが、ENDLIに名前を変えてもメディアは依然、「堂本剛」の活動として扱うし、私も含めたファンから見れば、紛れもなくENDLIは大好きな堂本剛君自身から生み出されたものである。ファンであれば、仮に剛君が奏でているジャンルの音楽には興味はなかった(ない)としても、剛君の音楽だから聴いてみようという心理が働く場合も多々ある。現に、今回も音楽チャートの1位を獲得した。
ただ、製作者が「堂本剛」とわかっていても、今回ENDLIという名前ができたことでいままで気になりながらも手に取れなかった人たち、つまり本来ENDLIの作品のファンになるはずの人たちが彼の音楽に触れやすくなったことは確かだは思う。

ENDLIプロジェクトがこれからどれだけこの皮肉を消し去ることができるのかはまだ未知数だし、今後ENDLIがさらに作品を生み出していく中で新たにどういう挑戦をしていくのかもわからないが、少なくとも彼に対して事務所がアイドル的な扱いをやめない限り、このせっかくの挑戦が中途半端なものになってしまいそうな気がする。だから、もしまだそれがあるのならそのこだわりを捨て去ることを願いたい。なぜなら、それこそがアイドルという壁を本当に乗り越え、アーティスト、ENDLIが作り出す音楽が本当に「主流のもの」となって、新しい日本の音楽潮流を生み出すきっかけにもなリ得ると思うから。

ここで、さっき「主流でない(万人受けしない)」と言ったENDLIの音楽がなぜ「主流になる」のかと疑問を抱いた人もいるかもしれない。
「主流でない」ものが「主流」になることは矛盾に思えても、実はそうではない。今の社会の中で「主流な位置をしめているもの」は必ずしもすべて最初から「主流」だったわけではないのだから。サブカルチャー的なものであってもそれに共鳴する人たちの間で静かに長く支持され続け、その支持の度合いが上がってくればそれは主流カルチャーとなリ得る。そして、その結果その文化を生み出した人の名も世に知れ渡ることになる。
ただ、ENDLIの音楽はサブカルチャーでありながら、大きく違う点がひとつある。
それはすでに知名度のある「堂本剛」がサブカルチャー的作品を生み出していることだ。結果、彼の作品は最初から多くの人の目に触れる。面白いことに、サブカルチャーなENDLIの音楽は最初から主流カルチャーの位置にある。つまり、サブカルチャーから主流カルチャーへのベクトルが逆向きなのだ。
だが、ENDLIがこの先もずっとこの位置に存在し続けらるかどうかは今後次第。先ほど言ったように、セールスを重視する戦略は個性的な彼の音楽には不向き。元来このジャンルに興味を持っている人がどれだけENDLIを支持してくれるようになるのか。また、現在のKinKi Kidsもしくは剛くんファンはこれからどうするのか。「堂本剛」ことENDLIが貫ぬこうとしているテイストに元々近い嗜好を持っているファンはともかくそうでないファンもたくさんいる。彼の作り出す世界と相容れなくなり、ファンをやめる人も出てくるだろう。結果的にトータルの認知度が落ちて彼の作品がサブカルチャーに納まる可能性だって大いにある。
この場合のサブカルチャーとは下等な文化ということではなく、社会に必ず必要なのに主流にはならない希少な文化として捉えて欲しい。本来、文化や価値観には上も下もないはず。だからENDLIの音楽がサブカルチャーとして落ち着いてもそれはそれでおもしろいとは思う。

しかし、逆に今の「仮主流」状態がこのまま続けばそれは本当の意味で「主流」となる。それは、「主流」+「サブカルチャー」の支持者が一緒になると規模が半端でなくなるだろうから。
作家の伊藤悟さんの言葉を借りればそのとき音楽が「世界を変える」のだと思う。大事に言葉を紡ぎだし、生きることだったり愛することだったりを表現する彼の音楽が本当の意味で「主流」になったら素敵だ。だから、私は今後もファンの一人として、この稀有なアーティスト、ENDLICHERI☆ENDLICHERIが生み出す「逆向きのサブカルチャー」な音楽の世界を支持し続けたいと思う。
Coward (通常盤)
Coward (通常盤)

「ラストプレゼント」を見終わって。

  • 2005.06.22 Wednesday
  • 01:22
6月11日の放映から10日程たちました。
バンコクにいる私がドラマを見たのは17日。
日本版は原作の韓国映画よりも抑え目なストーリーと演技でした。それが逆に日本人の私達にはちょうど良い温度感だったように思います。韓国人の方が喜怒哀楽の表現がはっきりしていますから。

コメディアンとして頑張る夫に悲しみを経験させたくないからという理由で、夫に自分の病のことを隠す妻。妻の命が長くないことを知り、自分が活躍している姿を見せるためにコメディアンのコンテストに参加して優勝をめざす夫。一言で言ってしまえば夫婦愛の物語なのですが、各所にお互いを思いやる行動が出てきてじんときました。O.ヘンリーの名著「賢者の贈り物」のストーリを思い起こさせます。
そして、最後の方で分かる、初恋の相手との結婚だったという事実。
夫はコンテストの優勝決定戦の前にそれを知らされ、思い出のネタを披露。それをみて、夫が昔のことを思い出したことに気づき、嬉しそうな顔を見せる妻。
心に残るシーンは他にもたくさんありました。
夫に素直に気持ちをあらわせず、つい強がってしまう妻。
最後に夫に甘える妻。それに答える夫。
妻の前で泣けず、家の前の公園のベンチで静かに泣く夫。
妻の話を、涙をこらえながら黙って聞く夫。
妻が亡くなった後、残してくれたノートを柔らかい表情で読む夫。

どのシーンにも切なさを感じましたが、ドラマを包む空気はずっと柔らかかった。人間の暖かさを感じたからかな。

岡田惠和さんの脚本と主演のふたり、堂本剛くんと菅野美穂ちゃんの演技、それから脇をささえた役者さんたちの演技、すべてがバランスよくすばらしかったから、こういう暖かいドラマに仕上がったんだろうなあと思いました。

切なくて悲しいストーリー。だけれど、見終わったあとほんのりした暖かさが残った、ほんとに素敵なドラマでした。

最後にちょっとひいきさせてね。(笑)
「剛君、あなたの抑えた演技からいろいろな切なさを教えられました。素敵なドラマをありがとう!」

「ラスト・プレゼント」見てね!

  • 2005.06.09 Thursday
  • 01:36
6月11日(土)夜9時〜テレビ朝日系でスペシャルドラマ「ラスト・プレゼント」が放映されます。
2001年に公開され、話題となった韓国映画「贈り物」が原作のそのドラマは、売れないコメディアンの夫と、それを支える不治の病に冒された妻の愛の物語。日本版の夫婦役キャストは堂本剛くんと、菅野美穂ちゃんです。演技派の俳優さんである二人がどんな演技をみせてくれるのか・・・。

原作を先に見てみましたが、夫婦愛の切なさとはがゆさが上手く描かれていました。日本版の脚本は数々の感動ドラマを手がけている岡田惠和氏。韓国版の原作にどういう感じで脚色を加えられているのかもまた楽しみです。

バンコクにいるわたしがこのドラマを見るのは1週間遅れになりますが、とに
かくたくさんの皆さんに見ていただきたくて、ドラマ放映の前にちょっと書かせていただきました。皆さん、とにかく色眼鏡無しに見てみてください。

待望のDVD発売

  • 2005.04.06 Wednesday
  • 00:29
TSUYOSHI DOMOTO 2nd LIVE [si:] ~FIRST LINE~ (通常版)
TSUYOSHI DOMOTO 2nd LIVE [si:] ~FIRST LINE~ (通常版)
堂本剛くんが昨年の夏にやったソロコンサートのDVDが漸く発売になりました。
見ていると舞台の雰囲気も、歌声も臨場感たっぷりに伝わってきてコンサートに行った気分になります。やっぱり彼は歌がうまい!このDVDはアイドル好きな人には今ひとつかもしれないけれど、アーティスト好きな人にはうけると思います。剛君の音と詩の世界に興味のある方は必見です。

コンサート映像のほかに、通常版には大阪で夜中にやったストリートライブの様子も納められています。


○野楽器にて


ソロコンサートを終えたT君へ

  • 2004.09.28 Tuesday
  • 02:20
ソロコンサート終了から3週間以上がたったけど、いまだにコンサートの余韻から抜け出せません。部屋でCDをかけると、会場で聴いた生の声が蘇ってきます。ほんとに素敵な空間でした。
今考えると、ステージの空間演出もお魚さんもダンサーさんも、すべて君の感性から生み出されたものだから、一見ばらばらなようで実はまとまってたね。
埼玉スーパーアリーナの前から4列目、君に背を向けて後ろのスタンドを見ながら歌を聴いてみた。歌が目の前の空間に優しく広がってた。
君の目の前に広がる空間、なんて大きいんだろうって思った。あれじゃ、怖くなって当然だよ。でも、あんな大きな空間をひとりで演出できるんだからもっと自信持って良いんだよ。
軽めのコンサートレポート書こうと思っても、ペンが進まない。そんなコンサートでした。コンサートのこと早く伝えようと思って書こうとするんだけど、書けないの・・・。
それぐらいインパクトがありました。
歌に込める想いの真剣さが伝わってきました。
繊細な感情も伝わってきました。
圧倒的な存在感も伝わってきました。
ほんとはきっと強いんだよ、君は。
いろいろあるだろうけど、芸能人だからって、アイドルだからって理由であきらめる必要なんてない。君なりに25歳という時を精一杯生きて、楽しんで欲しいなあ。
剛君、素敵なコンサートをありがとう!

罪作りな君

  • 2004.09.01 Wednesday
  • 18:08
君自身がかっこいいひとつの作品、でもそんな君からまた素敵な作品が生み出される。すごい奴だよ君は。
何よりアーティストの君が好き、でもアイドルの君もやっぱり好き。
今、君の作り出す音楽を純粋に聴いてその世界に浸りたいのに、そこで邪魔する君のルックス。
あえてお願い! コンサートで、一曲だけでいいからすごーい変なお面被って歌ってよ剛君!でないと、かっこよすぎて純粋に音楽聴けないじゃん、バックバンドの奏でる素敵な音も聴けないじゃん。
「人間、堂本剛」のファンである私の苦しい胸の内。

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