ENDLICHERI☆ENDLICHERI『CHERI E』ライブ考 〜「スーパーアイドル」から「ソウルアイドル」へ

  • 2010.09.30 Thursday
  • 17:59

ENDLICHERI☆ENDLICHERIこと堂本剛さんがソロ活動を始めた当初、私は、『アイドルからアーティストに進化中』の存在として彼をとらえ、ブログ記事に書きました。あれから5年以上が過ぎていまや彼は立派なアーティストです。そんな彼が今回のライブで、『偶像を超えたアイドルになる』と語りました。単なる人気者ではない、一家言持ったアイドル。それは、ソロでアーティスト活動を始めても、あえて「アイドル」としての自分の存在意義や立場を否定せずにつき進んできた彼らしい発言かもしれないなあと思いました。つまり、彼は、彼にしかできない、彼にしかなれない「アイドルになる」宣言をしたわけです。

「アイドル」の彼に興味を持ち、「アーティスト」の彼にはまった私。
だから、彼が変わらず「アイドル」でいてくれることは嬉しくはあるのですが、一方でライブで彼の才能に直に触れると、やっぱり、単なる「人気者」の枠を超えたもっともっと大きな存在になって欲しいと切に願ってしまいます。だから、ある意味これはそんな勝手なファンの望みを汲み、そしてかなえてくれる発言なのかもと、ライブ会場で思わず微笑んでしまいました。何せ、彼が目指しているのは『偶像をこえたアイドル』なのだから。

そして、今回のライブで彼はこんなことも語りました。
『自分が生きていることを最大限に過ごすことが好きなだけ。音楽でなくてもいい。とにかくみんなとつながりたい。いろんなこと抜きにしてステージに立とう。それがアーティストとしていいかはわからないけれど、ファンの人を愛するってことにとってはいいことだと思うんだ。楽しませたいけど、魂を鳴らしたい。』
『命が終わったら何もできない。記憶として残るかもしれないけれど。
体を使って、自分の最大限の力を使って生きたい。』
『魂が鳴り始めた。何かやりたいと思った。皆さんの魂が鳴るきっかけになればいい。
生きているということ、ENDLICHERIという空間を通して学び取ってもらえたら。』
『システマティックに(音楽を)提供するのもいいけど、「捧げる」ということばが自分に合ってる。みんなで楽しめたらいい。宗教できるんじゃないかと言われる。宗教ということばが良くない。宗教を否定しているわけではないけど。神道では「捧げる」という形で音楽、ファッション、踊りができたので、そういう気持ちでやりたい。』

彼の音楽(特にライブで聴く音)はいつも特別な力で響いてきます。
彼はいつも体一杯で表現します。そこには、彼にしか見えない、感じられない世界と宇宙があって、もしかしたらそれはすでに自分教の世界になっているのかも知れない。でも彼はその世界を決して他の人に押しつけることはしない。とにかく自分の感じたことを音に変えて、最大限の力で放ってこちらに投げかけてくる。ただただ『捧げる』という気持ちで。だから、こちらに響いてくるんだと思う。

ここで私の心に引っかかってきたのが、『魂』つまり『ソウル』ということば。
改めて、思った。彼はどうしてソウルミュージックが好きでそこにこだわりを持つのだろう。
そして、ファンクを奏でるENDLICHERIのライブの後で、もう一度その音楽について再確認してみたくなり、ピーター・バラカン著の『魂のゆくえ』という本を読んでみました。

この本には、ゴスペルからはじまり、R&B、ソウル、モータウンサウンド、ファンク、ディスコ、ヒップ・ホップ、そしてソウルの流れを汲む現在の音楽まで、ソウルミュージックの歴史的変遷がわかりやすく書かれています。また、それぞれのジャンルのお勧めCDのガイドも載っていて、そのページをめくるだけでもいろいろ聴いてみたくなります。本当のところは、いろいろ聴いて感じてみなくてはわからないのがソウルミュージックだろうと思うので、それはこれからまた少しずつ楽しんでいきたいと思っています。
さて、ピーター・バラカンさんは前書きでこう書いています。『ソウル・ミュージックとともに何かがなくなった、とぼく自身はこの頃ずっと感じていて、その何かはいったいどんなものか、その正体をちょっと考えてみたい、そう思ってこの本を書きました。』
そして、むすびでは、『「ソウル」が「魂」ということなら、たとえ音楽の形が変わっても、ソウルは永遠に生き続けるはずです。』『音楽で感情をストレートに表現することを仮にソウルと呼ぶなら、今挙げたさまざまな国の音楽をはじめ、世界のあらゆる国にソウルは元気に存在していることは言うまでもありません。』と語っています。

そうか!『音楽で感情をストレートに表現すること』これはまさに彼がやっていること。ソウル音楽が好きだからその音楽をやっているというよりも、彼がやりたいことがまさにソウルだったからやっているということなんだ。なんだか、すごく納得がいきました。むしろ、何でそんなことに気がつかなかったんだろうと思います。
また、それだけでなく、彼はその先さらに、ソウル音楽というツールを使って、今の時代が失ったものを取り戻そうとしているのかもしれません。

私は、そんな剛くんに今、「ソウルアイドル」という新しい肩書きを贈りたいと思います。
「スーパーアイドル」から「ソウルアイドル」への無限大の飛躍を願いながら・・・。

歴史フォーラム2010〜「正倉院と東大寺」

  • 2010.09.22 Wednesday
  • 22:59
さだまさしさんファンの友達に誘ってもらい、行ってきました。
フォーラムの構成は第一部から第三部まであって、内容盛りだくさんでした。
覚書きですが、これから始まる「正倉院展」(奈良国立博物館)と「東大寺大仏展」(東京国立博物館 平成館)に行かれる際の参考になればいいなと思ったのでフォーラムの様子を書き残しておくことにします。


☆第一部☆
「基調講演 杉本一樹氏「正倉院宝物が語ってくれること 」」

五絃琵琶は、現存する世界で唯一の五絃琵琶。光明皇后没後1250年を記念して、19年ぶりに公開。
昨年のテーマは「場所の力」「物の記憶」物のほうが物覚えがいい。人間忘れっぽい。
今年のテーマ「宝物が語ってくれること」書くこと…記憶を蓄える営み文字が記憶するもの、文字自体が自分自身を伝えることはほとんどない。
正倉院が伝えた都の暮らし、国際性豊か。

「繍線鞋」・・・靴ー絹ー紅花の染料発見、つま先は繻子織、トルファン製?
中国産木簡など…都市に生きた人との暮らし語る。

聖武天皇・・・盗難届け、家族構成毎年提出。税のしくみをつくる。光明皇后・・・書、紙にこだわる。

展示から、「宝物たちのひそやかな声」を聞いて欲しい。

☆第2部☆
「ファッションショー・蘇えるシルクロマン」文化服装学院

日本人の色感覚で未来的なものを表現した、すばらしい和洋折衷の世界。
天平文化との共通性を感じた。

☆第3部☆
東大寺長老、森本公誠xさだまさし対談 「正倉院と東大寺、その魅力を語る」

森本氏
聖武天皇研究者。聖武天皇が、民のことを思い、苦しんで作ったのが大仏。
「長老」という役職について・・・管長は年ごとに代わる。管長を退くと長老に。長老は何人もいる。総合文化センター総長は20人 。

さださんと東大寺のかかわり
  30年前の大修理(昭和大修理)落成祝賀式典で、喜びを全国の方と分かち合おうということになった。当時、ピンクレディーが流行っていたがさすがにまずいだろうということでさださんになった。
落成法要の1980年コンサートは主催者がお坊さんで、初めてのことだし、人が良いから当日ついつい人をたくさん入れて大変なことに。さださんは瓦を2枚寄進したからライブに呼ばれたのだと思っていた。
さださんは「古都舞台」も最初の主催者でもある。
奈良時代の、東大寺建立の際もいろいろイベントがあった。

東大寺正倉院展の出展品について
『五絃琵琶』は古楽器の弦は絹糸でできており、柔らかい音がでる。これだけの装飾が施されているので、高貴な人が演奏したなど、特別な意味があるのではないか。
『八角灯篭』は、はじめて東大寺の外に出る。南都の寺の博覧会開催ということで、なにか目玉が無いといけない。天平時代のものをどうやって東京に持っていくか考えるのが大変だった。灯篭には、楽器を持った仏様の絵、お釈迦様の光→火、人の心を救うものは光だけでない→音傘の隅、小さな風鐸 自然の風でなる、風鈴がついてた音楽のすばらしさ表現、音声菩薩自分自身が光となって上っていく音が聞こえてくる

さださんは、「『癒し系の音楽』ということばは嫌い。癒さない音楽があるということだから。」
音楽は癒すもの。神仏とつながる際に、音楽が重要な力を持っていたという証拠。
 
東大寺のいわれ・・・聖武天皇が息子を弔った。 728年、山房に、9人の僧侶住まわせる。その中に、良弁(ろうべん・東大寺の僧侶)もいた。
なぜ大仏を建立したのか?・・・聖武天皇は、民を治めるためにはどうしたらいいか常に学ばれた人。「雑集」8x1200行、2万字 お経のよう。盧遮那仏はどういう存在かに関心を持つ。雨が降らない、大地震、旱魃で、人々の心がすさんでいた。当時の基本思想だった、中国儒教に対して疑問を持つ。日本を治めるには、仏教、お釈迦様の教えのほうが優れていると考え、方向転換。
宗教が日本に来たときのお土産。仏教とともに来た、科学、医学を大事にした。新しい転換点だった。儒教は、病気を、天の神がいさめるしるしという考えだった。薬の副作用は果たしてそうなのか。
天皇は悩む。天然痘、不作、庶民の心のすさみには、心の教育が必要。とにかく民を救わないといけないと考え、全国に国分寺を建立(60あまり)。その総国分寺としての東大寺に盧遮那仏を建立。

仏教伝来200年を記念して、大仏開眼が盛大に行われた。インドのお坊さんが来て眼を入れた。筆に紐をつけ、みんなが紐を持っった。その紐が展示されている。藍染めで絹糸。一日かけてお祝い。

2002年の大法要は、大仏開眼から1250年の大法要だった。東大寺は音楽のふるさと。
伎楽ーペルシャ。4つの楽隊の2つの楽頭ー皇族がつとめる。鼓、太鼓。
仮面をかぶる…無言劇「見られること意識した行い」獅子舞へと変化。
二月堂の修二会、お水取りもショーとして完成している。舞台演劇の原点。音楽に満ちている。
さまざまな宗教様式の坩堝。拝火教(ゾロアスター教)「光の象徴としての純粋な「火」を尊んだ」、ラマ教「五体投地」、キリスト教「水」、「修二会」二月堂の天井のマス目は片面11マス。
756年 聖武天皇没。
光明皇后→大仏に宝物→正倉院国家珍宝帳49日に奉納。
除物(後で惜しくなったので返してもらう)も。結納の品などは返してもらった。

様々な宝物。日本にはいない動物が書かれたものなど。
衣装の復元を行った。10月14日に奉納。繍線鞋(ぬいのせんがい)は色鮮やかな朱色。
「種々薬帳」使うことを意識して奉納光明皇后…福祉に力入れる。社会的背景。人民を慈しむ。

「大宝律令」の制定…はじめて法に基づいて政事をおこなった。高齢者対策、障害者対策の税金免除あり。障害者や80歳以上のお年寄りは介護者を一人つけられる。大体孫が介護者。介護者は税金安くなる。 90歳は2人の介護者。」100歳は5人の介護者。結果、介護者になる女性は税金かからず。老いに対する尊厳性、配慮がされている。社会的背景米の支給は生活保護に。施薬院の設立。皇后としての心と経済力を備えた方だった。

東大寺展おすすめ展示品
(森本氏)
「白橡綾錦几褥」仏前の供台に敷く敷物。織りだけでなく、デザインが珍しい。国際的な図案、ナツメヤシに獅子。人間は半裸で縮れ毛(猛獣使い?)

「青斑石鼈甲図(すっぽん)」背中に北斗七星。目はルビーのような赤い鼈甲で珍しい。ルビーは、めでたいことを表現。元号の変更があったか?宝物の時代背景を考えると面白い。

「銀壷 甲」(奈良国立博物館)、「銀壷 乙」(東京国立博物館平成館)、は模様が違う。
出自明確でない。ペルシャ、中国、日本。狩りの風景。
この時代、文化的にペルシャは遠い国ではなかったのではないか?国という概念が薄い。人々の交流が盛んだったのでは・・・。世界が強くつながっていた証明。ペルシャ人は当時の日本に何人も来ている。鑑真和尚や遣唐使と一緒に来日。ペルシャは「だったん」と呼ばれていた。当時の人、壮大なことと繊細な物づくり。その豊かな「感性」はどうして養われたか?
この宝物がよく現代まで伝えられたなあ。「正倉院」は何度も火事になっている。その中で必死に守った人々が必ずいる。今は国が保管。東大寺が保管の心配なくなった。だが、東大寺の名がついているものは返してもらいたい気持ちあり。

(さださん)
物に対して傲慢になっている現代。当時はひとつひとつが大事。
今、使い捨ての時代。将来、正倉院のようなものは我々には残せない。文化ってなんだろう。
残そうと思った人々の心根を感じる。

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