お台場のウォータータンク2(以下タンクと記します。)で4ヶ月に渡って行われたENDLICHERI☆ENDLICHERI(以下ケリーと記します。)のライブが終わって半年近くが経とうとしています。終わってすぐライブの感想を書こうと思っていたのですが、案の定、頭の整理がつかず11月にになってしまいました。
今年のライブは去年よりもさらにファンク色が濃くなっていました。ほとんどエンドレスに16ビートのリズムがシャワーのように降ってくる、普段の私の生活では考えられないノリとサイケデリックな空間。でも、なぜか楽しくてしょうがなかったです。
ただ、ちょっと考えてみると、もともとお腹にズンズン来るアフリカ音楽のリズムは(民俗音楽やユッス・ゥンドゥールなど)好きだし、アフリカ(黒人)文化にも興味があって、ザンビアとジンバブエに旅行にも出かけたし、70年代アメリカの黒人音楽(モータウンやコモドアーズ、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーなど)はたまに聞いていたから、ケリーが奏でている音たちは、私にとって異質な音ではなかったはずなのですが、今まで身近に感じていたアフリカンな音楽とファンク音楽との関連性が自分の頭のなかで全く結びついていなかったのでした。
ところが、堂本剛くんことケリーがファンク音楽をやるようになって、「ファンク」ってどんな音楽だろうと改めて調べてみて、好きな音との共通性にようやく気がついたのです。それはなかなか自分では入っていかれなかったけれど、ちょっと憧れていた音たちでした。とにかくリズム感がすごく悪いので、ダンスなど問題外。結果、ダンスとつながる音楽からは距離を置いていました。
裏のリズムをとれる黒人のリズム感は、長い時を重ねて彼らの文化が培ってきたもので、2拍子4拍子が主流のリズムを持っている日本文化の中で、自然にそれについていくことのできる人はそんなにはいない。(20代より下の人たちはラップなども小さい頃から耳にしているだろうだから、リズム感もいいし大分変わってきているとは思うけれど、少なくとも30代以上の人はこの意見にうなずいてくれるのではないかと思います。)だから、ケリーが抜群のリズム感でそれをばっちり体得しているのには、感心&うっとりするばかりです。
そんな事を考えているうちに、堂本剛のファンでなかったら「ファンク」音楽と出会わなかったであろうおばさんたちが私のほかにもたくさんいるんじゃないかと思いました。
剛君が奏でているからとはいえ、16ビートのかなりアップテンポなリズムを中心に据えたファンクという音楽ジャンルはおばさんには最初はちょっとついていきにくいものだったかもしれない。でも、タンクに通ううちにおばさんたちは気がついてしまいました。剛君が奏でているということ以外の、この「ファンク音楽」が持っている魅力的な性質に。
素人知識ですが、ここで少し黒人音楽について少し説明を。
黒人音楽(ブラックミュージック)は、奴隷としてアメリカ大陸に連れて来られた黒人の人たちがその苦しい日常から少しでも逃避し楽しみを味わうため、また頑張ろうという気持ちを鼓舞するために生まれてきたものでした。ブラックミュージックは「苦痛を忘れさせ、生きる力をくれ、そして自己表現をする」大切なものだったのです。勿論ファンクもその流れを汲んでいます。
話をタンクにもどします。
タンクという空間にいるだけで否が応でも、16ビートのリズムが体に響いてきます。仮にそのリズムに乗り切れず遅れていても、とまどっていても関係ない。そのリズム音楽が心地良いということにだんだんと気づいてきます。そして、そこにいる限り様々な日常から離れて、自由に遠慮なくその音楽を楽しみ、自分を好きなだけ開放していいのだという気になる。何をしようが笑われないと感じる安心の空間。何回か通ううち、おばさんたちにとって、いつしかタンクはそういう場になっていました。
普段、気にしないつもりでいても日本人として潜在意識として持っているであろう、「年甲斐もなく。」とか「みっともない。」「恥ずかしい。」とかいう気持ち。タンクはそういう気持ちを取っ払うことの出来る場所でした。それは、会場にいる観客がありのままでいられる空間をケリーとスケール(バンドメンバーの総称)がファンクという音楽グルーブを使って提供してくれたからでもあります。元々ファンク音楽自体が持っている性質をケリーとスケールが最大限に活用してくれた。
だから、おばさんたちは感じたのです「何だかよくわからないけど、ケリーが奏でているファンクという音楽はすばらしいじゃない。一緒に楽しみましょう。」。ケリーライブが終わった後、ケリー以外のファンクミュージックまでもが気になり始めたおばさんたちはかなりいるはず。
私は、『ドリーム・ガールズ』という映画を見たり、CDショップのブラックミュージックのコーナーを物色したりしました。そして、16ビートのリズムを耳にしても違和感がなくなり、ちょっぴりそのリズムに乗れるような気がするようになりました。
今、ケリーが奏でている音楽は確かに日本ではメジャーとはいえないジャンルにあるものかもしれない。でも、そのファンは今後もっと増えるかも。そういう思いさえ抱かずにいられないくらいのことを今年のライブでケリーは果たした気がします。
ケリーは「日本のおばさんにファンクを広めた男」なのです。
最後に、話はそれますが、8年東南アジアに暮らして思うこと。
それぞれが自分の価値観を持ち、あまり他人の事は気にせず、自由に生きています。そこには様々な価値観や文化が存在していて、お互いがそれを尊重し、異なるもの同士がうまく折り合いをつけながら生きている。その中に人としての優しさを感じます。
ケリーが生み出している音楽も異なるものがうまく同居している、どこかそういう雰囲気を持っている。そんな風に思います。
これからの時代は異質なもの同士がそれぞれをうまく受けとめ、認めあい、共存していかれるように努力することが大切。だから、彼のファンク音楽が広まって欲しい。ベクトルの矢長く、高く、もっともっと、先へ、上へ。