西大寺のお坊さんのお話。

  • 2009.10.31 Saturday
  • 22:12

 日本橋の奈良まほろば館で、南都法話会(奈良の有名寺院の若手僧侶が伝える「奈良の心」)を聴講してきました。
今日は第五回。西大寺の大谷徹奘師のお話。

自分と(おそらく)同じぐらいの年のお坊さんのお話はちょっと新鮮で親しみやすかったです。
大谷師がお坊さんになった理由や、西大寺の歴史や仏像、行事のことなどを中心に、日々自分を見つめていらっしゃるお坊さんらしい深い言葉を交えて話してわかりやすく話してくださいました。なるほどと思った仏教用語の意味などもあるので、書き留めておきたいと思います。

大谷師がお坊さんになった理由は、競争が嫌いだったからだそうです。奈良県の小さなお寺の息子さんとして生まれたので、お坊さんになることに反発した時期もあったのですが、競争社会に身をおくことが苦手だったので、大学卒業後、高野山で1年修行をされて西大寺の僧侶となられました。

高野山の修行の間は、家族を含めた、誰とも連絡が取れなくなります。山の標高は1000m、冬の寒さは厳しく、動物性たんぱく質をとらない一汁一菜の食事なので、初めてしもやけやあかぎれができたそうです。滝にうたれる水業は、冬の外気のほうが水より温度が低いので、水に入ったときは暖かく感じるけれど出たときの寒さは倍になるとも。
この「加行」といわれるお坊さんになるための修行の詳細は、真言宗は密教なので多言してはなりません。修行が終わるといよいよお坊さんとして認めれられます。
修行が終わったときは、こんな辛い修行を乗り越えたのだからいっぱしの僧侶になったと思っていましたが、今は、今の日々の修行のほうが大変だとしみじみ思うとおっしゃっていたのが印象的でした。
修行の途中でどうしても絶えられなくなり山を下りる人も居るそうですが、その人たちに後で理由を聞くと、体力的な辛さよりも心が耐えられなくなったという人が大半だとか。

話は西大寺に関することに移ります。
西大寺は、平城京の西にある寺という意味で、敷地27万坪。
聖武天皇の娘、称徳天皇(考謙上皇)によって建てられました。
765年着工。この時代は今の表現を使えば、バブル崩壊後の時代。
100体以上のたくさんの仏で平和を願うという意味を持って建てられました。
上皇に寵愛された、弓削道鏡が寺を守っていましたが、上皇崩御の後、下野の薬師寺に流されたため、それに伴って寺も衰退の一途をたどりました。
火災、落雷に合うことが多かったため、建物はほとんど焼け落ちました。
奈良時代のもので、現在残っているものは四天王が踏みつけている邪気(鬼)のみです。

その後、ようやく鎌倉時代に、叡尊(興正菩薩、1201〜1290年)という一人の僧侶によって、再建復興されました。
叡尊は、南都仏教(昔から伝わる古い仏教。律宗。)を守り広げた僧で、不治の病の人(ハンセン病患者)を助けたり、貧しい方の救済を行ったため、慈善事業の祖とも言われます。文殊菩薩の供養をして、人々を救いました。
元寇(蒙古襲来)の際に、7日7晩加持祈祷を行ったところ、その晩に吹いた神風で弓矢が西のほうに飛んで行き、日本は救われました。ただ、叡尊はこの弓でたくさんの死者をだしたことを後悔し、人が死なないようにと愛染明王(重要文化財。縁結びの神様として有名。)の製作を依頼しました。
また、現在も続いている大茶盛の行事をはじめました。
こういった功績から、叡尊は、興正菩薩として仏のように祭られています。

西大寺の主な行事はこの大茶盛の行事と、光明真言土砂加持大法会です。
大茶盛は、1290年1月16日(鎌倉時代)に始められました。茶道が生まれる前からの行事で、国家安泰を願います。現在の茶法は明治以降に取り入れられました。
最初は、寺に来た人に一杯ずつお茶を振舞っていたのですが、当時お茶は薬としても使われていた、貴重なものだったので大きな器で皆で少しづつ飲むようになり、この行事ができたそう。

大谷師は、叡尊さんは、お茶盛りを通して、一味和合、皆で同じ釜のごはんを食べる大切さを伝えたかったのではないかとおっしゃっていました。
現在は1月15日(初釜)、4月の第二土曜日、日曜日(春)と10月第二日曜日(秋)に一般公開の大茶盛を開催するのでぜひいらしてくださいということです。

光明真言土砂加持大法会(こうみょうしんごんとさかじだいほうえ)は、本堂(真言堂)で3日3晩通して行われる、西大寺最大の法要。
一番若いお坊さんが全責任を負い、この法要を取り仕切ります。この行事を終えてようやく一任前と認められます。
主役であり、プロデューサーである若いお坊さんは、一番長老のお坊さんが光明真言をゆっくり一回唱えるのにあわせて20分かけて五体投地を行います。長老に教えを請い、一回を丁寧にきちんとするという気持ちが込められています。
お坊さんのあいだでは、この動作はちょうちんたたみと呼ばれているそうです。
提灯をたたむときには破れないようにゆっくりとたたまないといけないからです。
光明真言とは、「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」という23字の集まりで、極楽浄土を明るく照らし、成仏できるお経です。
その後、仏の周りをぐるぐる回る行が行われます。

本堂はススキや彼岸花など、身の回りにある質素な花で飾られますが、皮肉なことに最近彼岸花は10月には手に入りずらくて、各所から集めているそう。大法会は東大寺をはじめ、激しい動きをするところが多いのですが、西大寺の大法会はゆっくりしたおつとめなのが特徴です。

仏像の話。
ご本尊は、釈迦如来。釈迦に帰ろう、規律正しく生きようという意味が込められています。釈迦如来の由来は、京都嵯峨野清涼寺にある、インド、中国、日本と渡り歩いた、三国伝来の釈迦如来です。
手の長さはひざの下までと凄く長いのですが、これは、仏は遠いところの迷い美とまで救い取るという意味です。
そして、手についている水かきはあの世とこの世を行き来する仏は三途の川をわたるためと、水かきがあるほうが救いやすいということから。
白毫(びゃくこう)という、毛の塊があります。

仏様の手のゼスチャーの説明が興味深かったです。
手を下に向けている「与願」は、願いどおりのものを与えると言う意味で、
手の平を前に向けている「施無畏」は恐れることは無い安心を表しています。
西大寺の釈迦三尊像は釈迦に、文殊菩薩と弥勒菩薩が控えているのが特徴です。
(一般的には釈迦には文殊菩薩と普賢菩薩。)

ここで大谷師が面白い話をされました。
如来の脇の仏像は知恵と慈悲を表しますが、これは人間の脳の仕組みと凄く似ているそう。
東北大学の川島教授の著作によると、最初に生まれた感情は、怒りと恐れで、それは、自分(固体)とその子孫を守る感情であり、逆に最後に生まれた感情は笑い。笑いは人間だけが持っている(猿は子供だけが持つ。)感情だそう。
嫌いと好きは、嫌いが先。これはやはり身を守るため。
その話から、大谷師は、左脳は知恵で、右脳は慈悲を表す。だから、両方が整ってこそ仏に近づくのだと。どちらかに偏ると屁理屈や逆切れになると言われ、なるほどなあと感じました。
脇の仏像は如来によって違いがあり、決まっています。
手に薬を持っている薬師如来には、日光菩薩(慈悲) 月光菩薩(知恵)
阿弥陀菩薩には、観音菩薩(慈悲)と勢至菩薩(知恵)がついています。

このあたりまでで、お話が盛りだくさんで、予定の1時間半という時間が大分過ぎていました。
唐招提寺の金堂の落慶法要もありますし、奈良を空気とともに感じていただきたいとおっしゃって話を終わられました。
今月末に奈良に行く予定なので唐招提寺の金堂はぜひ見たいと思います。

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