逆向きのサブカルチャーの行方〜ENDLICHERI☆ENDLICHERIへのエール
- 2006.03.22 Wednesday
- 02:23
以前、私は『アイドルからアーティストに進化中の彼に注目!』というタイトルでブログ記事を書きました。
堂本剛君自身が生み出した音楽や詩の世界にファンの一人として触れ、それがアイドルの世界とはまったくかけ離れていたことに驚きながらも、むしろそちらに共鳴した部分が大きかったので彼のソロ活動をますます後押ししたくなった気持ちをブログに書き込んだのでした。
それから約2年がたちました。
その間に目覚しい進化を遂げた彼は「堂本剛」というしがらみをさらに取り払うべく、ENDLICHERI☆ENDLICHERIという名で新たなソロプロジェクトを発進させました。
新しい名前を自分に冠し、今までとは違ったプロモーション方法で活動を展開する彼の姿に、苦しみもがきながらもここまで漕ぎつけたアーティストとしての意気込みとこだわりを感じて私はまた嬉しくなりました。
ただ、いちファンの勝手な思い込みかもしれないですが、まだまだまだ彼の思い通りには行っていない部分も多いかなあと感じる部分もあります。
音楽や芸術全般に通じているわけでもない私がやみくもに剛君について論じるのはおこがましいことなのかも知れないのですが、彼のソロ活動応援の一助になればと思い、今回感じたことをまた書いてみることにしました。
「逆向きのサブカルチャーの行方」
「堂本剛」ことENDLICHERI☆ENDLICHERI(以下ENDLIと書きます。)の音楽は難解な「詩」とちょっと癖のあるメロディーが特徴的である。引き込まれる人には一度聞いたら癖になるタイプの音楽だが、万人受けする色あいを持つものではない。それはきっと作品を作り出している彼自身が一番理解していることだろう。
だが、すでにタレントとしての知名度を確立した彼の作品がひとたび世に出るといかにもそれが「主流」(万人受けするもの)であるかのような取り上げられ方をされる。そして本来そういった作品が好きであるはずの人を遠ざけてしまうという皮肉も生じる。
このことを彼自身が理解していたからこそできる限りその皮肉の度合いを減らしたいと考えて作ったのが今回のENDLIなのだろうと思う。
「堂本剛」自身をできるだけ隠し、アーティストの部分をできるだけ前に出そうとしているCDジャケットのデザインからもその姿勢が十分うかがえる。
だが、ENDLIに名前を変えてもメディアは依然、「堂本剛」の活動として扱うし、私も含めたファンから見れば、紛れもなくENDLIは大好きな堂本剛君自身から生み出されたものである。ファンであれば、仮に剛君が奏でているジャンルの音楽には興味はなかった(ない)としても、剛君の音楽だから聴いてみようという心理が働く場合も多々ある。現に、今回も音楽チャートの1位を獲得した。
ただ、製作者が「堂本剛」とわかっていても、今回ENDLIという名前ができたことでいままで気になりながらも手に取れなかった人たち、つまり本来ENDLIの作品のファンになるはずの人たちが彼の音楽に触れやすくなったことは確かだは思う。
ENDLIプロジェクトがこれからどれだけこの皮肉を消し去ることができるのかはまだ未知数だし、今後ENDLIがさらに作品を生み出していく中で新たにどういう挑戦をしていくのかもわからないが、少なくとも彼に対して事務所がアイドル的な扱いをやめない限り、このせっかくの挑戦が中途半端なものになってしまいそうな気がする。だから、もしまだそれがあるのならそのこだわりを捨て去ることを願いたい。なぜなら、それこそがアイドルという壁を本当に乗り越え、アーティスト、ENDLIが作り出す音楽が本当に「主流のもの」となって、新しい日本の音楽潮流を生み出すきっかけにもなリ得ると思うから。
ここで、さっき「主流でない(万人受けしない)」と言ったENDLIの音楽がなぜ「主流になる」のかと疑問を抱いた人もいるかもしれない。
「主流でない」ものが「主流」になることは矛盾に思えても、実はそうではない。今の社会の中で「主流な位置をしめているもの」は必ずしもすべて最初から「主流」だったわけではないのだから。サブカルチャー的なものであってもそれに共鳴する人たちの間で静かに長く支持され続け、その支持の度合いが上がってくればそれは主流カルチャーとなリ得る。そして、その結果その文化を生み出した人の名も世に知れ渡ることになる。
ただ、ENDLIの音楽はサブカルチャーでありながら、大きく違う点がひとつある。
それはすでに知名度のある「堂本剛」がサブカルチャー的作品を生み出していることだ。結果、彼の作品は最初から多くの人の目に触れる。面白いことに、サブカルチャーなENDLIの音楽は最初から主流カルチャーの位置にある。つまり、サブカルチャーから主流カルチャーへのベクトルが逆向きなのだ。
だが、ENDLIがこの先もずっとこの位置に存在し続けらるかどうかは今後次第。先ほど言ったように、セールスを重視する戦略は個性的な彼の音楽には不向き。元来このジャンルに興味を持っている人がどれだけENDLIを支持してくれるようになるのか。また、現在のKinKi Kidsもしくは剛くんファンはこれからどうするのか。「堂本剛」ことENDLIが貫ぬこうとしているテイストに元々近い嗜好を持っているファンはともかくそうでないファンもたくさんいる。彼の作り出す世界と相容れなくなり、ファンをやめる人も出てくるだろう。結果的にトータルの認知度が落ちて彼の作品がサブカルチャーに納まる可能性だって大いにある。
この場合のサブカルチャーとは下等な文化ということではなく、社会に必ず必要なのに主流にはならない希少な文化として捉えて欲しい。本来、文化や価値観には上も下もないはず。だからENDLIの音楽がサブカルチャーとして落ち着いてもそれはそれでおもしろいとは思う。
しかし、逆に今の「仮主流」状態がこのまま続けばそれは本当の意味で「主流」となる。それは、「主流」+「サブカルチャー」の支持者が一緒になると規模が半端でなくなるだろうから。
作家の伊藤悟さんの言葉を借りればそのとき音楽が「世界を変える」のだと思う。大事に言葉を紡ぎだし、生きることだったり愛することだったりを表現する彼の音楽が本当の意味で「主流」になったら素敵だ。だから、私は今後もファンの一人として、この稀有なアーティスト、ENDLICHERI☆ENDLICHERIが生み出す「逆向きのサブカルチャー」な音楽の世界を支持し続けたいと思う。
Coward (通常盤)
堂本剛君自身が生み出した音楽や詩の世界にファンの一人として触れ、それがアイドルの世界とはまったくかけ離れていたことに驚きながらも、むしろそちらに共鳴した部分が大きかったので彼のソロ活動をますます後押ししたくなった気持ちをブログに書き込んだのでした。
それから約2年がたちました。
その間に目覚しい進化を遂げた彼は「堂本剛」というしがらみをさらに取り払うべく、ENDLICHERI☆ENDLICHERIという名で新たなソロプロジェクトを発進させました。
新しい名前を自分に冠し、今までとは違ったプロモーション方法で活動を展開する彼の姿に、苦しみもがきながらもここまで漕ぎつけたアーティストとしての意気込みとこだわりを感じて私はまた嬉しくなりました。
ただ、いちファンの勝手な思い込みかもしれないですが、まだまだまだ彼の思い通りには行っていない部分も多いかなあと感じる部分もあります。
音楽や芸術全般に通じているわけでもない私がやみくもに剛君について論じるのはおこがましいことなのかも知れないのですが、彼のソロ活動応援の一助になればと思い、今回感じたことをまた書いてみることにしました。
「逆向きのサブカルチャーの行方」
「堂本剛」ことENDLICHERI☆ENDLICHERI(以下ENDLIと書きます。)の音楽は難解な「詩」とちょっと癖のあるメロディーが特徴的である。引き込まれる人には一度聞いたら癖になるタイプの音楽だが、万人受けする色あいを持つものではない。それはきっと作品を作り出している彼自身が一番理解していることだろう。
だが、すでにタレントとしての知名度を確立した彼の作品がひとたび世に出るといかにもそれが「主流」(万人受けするもの)であるかのような取り上げられ方をされる。そして本来そういった作品が好きであるはずの人を遠ざけてしまうという皮肉も生じる。
このことを彼自身が理解していたからこそできる限りその皮肉の度合いを減らしたいと考えて作ったのが今回のENDLIなのだろうと思う。
「堂本剛」自身をできるだけ隠し、アーティストの部分をできるだけ前に出そうとしているCDジャケットのデザインからもその姿勢が十分うかがえる。
だが、ENDLIに名前を変えてもメディアは依然、「堂本剛」の活動として扱うし、私も含めたファンから見れば、紛れもなくENDLIは大好きな堂本剛君自身から生み出されたものである。ファンであれば、仮に剛君が奏でているジャンルの音楽には興味はなかった(ない)としても、剛君の音楽だから聴いてみようという心理が働く場合も多々ある。現に、今回も音楽チャートの1位を獲得した。
ただ、製作者が「堂本剛」とわかっていても、今回ENDLIという名前ができたことでいままで気になりながらも手に取れなかった人たち、つまり本来ENDLIの作品のファンになるはずの人たちが彼の音楽に触れやすくなったことは確かだは思う。
ENDLIプロジェクトがこれからどれだけこの皮肉を消し去ることができるのかはまだ未知数だし、今後ENDLIがさらに作品を生み出していく中で新たにどういう挑戦をしていくのかもわからないが、少なくとも彼に対して事務所がアイドル的な扱いをやめない限り、このせっかくの挑戦が中途半端なものになってしまいそうな気がする。だから、もしまだそれがあるのならそのこだわりを捨て去ることを願いたい。なぜなら、それこそがアイドルという壁を本当に乗り越え、アーティスト、ENDLIが作り出す音楽が本当に「主流のもの」となって、新しい日本の音楽潮流を生み出すきっかけにもなリ得ると思うから。
ここで、さっき「主流でない(万人受けしない)」と言ったENDLIの音楽がなぜ「主流になる」のかと疑問を抱いた人もいるかもしれない。
「主流でない」ものが「主流」になることは矛盾に思えても、実はそうではない。今の社会の中で「主流な位置をしめているもの」は必ずしもすべて最初から「主流」だったわけではないのだから。サブカルチャー的なものであってもそれに共鳴する人たちの間で静かに長く支持され続け、その支持の度合いが上がってくればそれは主流カルチャーとなリ得る。そして、その結果その文化を生み出した人の名も世に知れ渡ることになる。
ただ、ENDLIの音楽はサブカルチャーでありながら、大きく違う点がひとつある。
それはすでに知名度のある「堂本剛」がサブカルチャー的作品を生み出していることだ。結果、彼の作品は最初から多くの人の目に触れる。面白いことに、サブカルチャーなENDLIの音楽は最初から主流カルチャーの位置にある。つまり、サブカルチャーから主流カルチャーへのベクトルが逆向きなのだ。
だが、ENDLIがこの先もずっとこの位置に存在し続けらるかどうかは今後次第。先ほど言ったように、セールスを重視する戦略は個性的な彼の音楽には不向き。元来このジャンルに興味を持っている人がどれだけENDLIを支持してくれるようになるのか。また、現在のKinKi Kidsもしくは剛くんファンはこれからどうするのか。「堂本剛」ことENDLIが貫ぬこうとしているテイストに元々近い嗜好を持っているファンはともかくそうでないファンもたくさんいる。彼の作り出す世界と相容れなくなり、ファンをやめる人も出てくるだろう。結果的にトータルの認知度が落ちて彼の作品がサブカルチャーに納まる可能性だって大いにある。
この場合のサブカルチャーとは下等な文化ということではなく、社会に必ず必要なのに主流にはならない希少な文化として捉えて欲しい。本来、文化や価値観には上も下もないはず。だからENDLIの音楽がサブカルチャーとして落ち着いてもそれはそれでおもしろいとは思う。
しかし、逆に今の「仮主流」状態がこのまま続けばそれは本当の意味で「主流」となる。それは、「主流」+「サブカルチャー」の支持者が一緒になると規模が半端でなくなるだろうから。
作家の伊藤悟さんの言葉を借りればそのとき音楽が「世界を変える」のだと思う。大事に言葉を紡ぎだし、生きることだったり愛することだったりを表現する彼の音楽が本当の意味で「主流」になったら素敵だ。だから、私は今後もファンの一人として、この稀有なアーティスト、ENDLICHERI☆ENDLICHERIが生み出す「逆向きのサブカルチャー」な音楽の世界を支持し続けたいと思う。
Coward (通常盤)
「逆向きサブカルチャー」論、とても面白かったです。剛さんの音楽嗜好もミスチルのようなメジャーからサブカル的ブラックミュージック(それだってメジャーですが)へ移行していますしね。
わたしも、剛さんの音楽(ENDLICHERI★ENDLICHERI)がドリカムやミスチルのような「主流」になったら、もうちょっと「世の中が変わる」と思います。応援しています。
…でも、とてもハードルがたかいと、正直思います。
それと「堂本剛自作ソロなし」のKinKiの今後も、けっこう心配しています。
コメントありがとうございました。
『「堂本剛自作ソロなし」のKinKi』の状態は今後も続きそうが気がしますが、無しにすることでKinKiコンはどう変わるのか・・・できるだけ見守りたいです。
KinKiコンとENDLIコン、どちらも楽しみたいですがかなり趣が違ってきているので両方楽しむには頭の切り替えが必要かも。
彼の声がとにかく大好きなのです。楽曲的にはKinkiの作品が大好きなのですが、剛君の作り出す音楽は最初はためらう物が多いのですが、なぜか二回、三回と聞いているうちに心の扉が全開になっていて自然に受け入れているのです。それから、更に聞いていくと彼の楽曲の世界以外受け入れない自分が出来上がってきます。今回自分でもKinkiのHやGアルバムを聞くのが怖かったのですが、敢えて聞いてみました。自分がKinkiに拒否反応して戻れなくなるのではと思って、ふと不安になりましたが、かなり普通に切り替える事ができました。時々、こうやってリハビリしないとどちらかに偏っていくのでしょうね!私はどちらも楽しみたいので、バランス良く心に響かせていきたい派です!やはり長く活動していくと色んな時期がありますよね!付いて来れない人がいたり、思わずハマッテしまう人が現われたり・・・
私も剛君を応援して彼が何処まで行くのか
見守りたいですね!長々とコメントしてすみませんでした!管理人さんに共感したのでお伝えしたくなりました。
有難うございました。失礼しました。
コメントありがとうございました。
私も剛くんの声大好きです。今回のブログは堅く書きたかったのでミーハーな部分は見せていませんが、実は声そのものが好きだったり、ベタなギャグを言う剛君が好きだったりします。(笑)
その日の自分の気分によって聴きたい音楽も変わります。
だから「KINKIな気分」の日も結構あります。(笑)
tanpopoさんの「バランスよく楽しむ」という姿勢、素敵だなと思いました。
いろんな顔を持つ剛君について行かれるように私自身もいろんな引き出しを持つ柔軟なファンでありたいなあと思っています。
コメントありがとうございました。私もいろんな音楽を聴きます。「音楽の力」ってすごいなあと思います。自分のなかで「ジャンル」を作らないほうが心に響く音楽に出会えますよね。お勧めの曲があったらぜひ教えてください。
コメントありがとうございます。
KINKIはいろんな側面を持っているからファンになる人も様々だろうと思います。アイドルの部分が好きな方には今の剛君がもどかしく映るのかもしれませんね。
唯、誰のどんなファンであれ、ファンはその対象に対して自分で勝手にイメージを作ってしまうところはあると思うのです。でも、それはファンの勝手なエゴに過ぎない。
また、ファンの好みに合わせてイメージを作ってくれるスター(ちょっと古いいい方だけどいい言葉が見つかりませんでした。(苦笑))を好む人もいれば、そうではなくて変わってもいいから好き勝手に自由にやってと望むファンもいる。スターの方もファンに合わせる人、自分の信じる道を突き進む人がいて考え方はさまざま。でも、ファンもスターもどっちが立派だとかいいとは言えないと思うのです。
まあ、売れる売れないの問題がでてくるとそんなに単純に考えられないのかも知れないけれど。(笑)
私は剛君には私たちファンの勝手な望み(笑)に合わせなくていいから、とにかく好きな道を進んで欲しいなと思っています。今の剛君だったらその道を取ってもついて来るファンはたくさんいると思うので。
yokkoさんと同じく、私も剛君をどこまでも見守って行きたいです。
こんばんは。情報ありがとうございます。5月日本に帰ったときにチェックしてみます。ENDLIライブも5月に行きます。
とっても楽しみです。
こんばんは。タイ時間はは日本より2時間遅いです。
ようやく今日貸しビデオやさんからDVDを借りてきてMステSPを見ました。
ケリーさん、ライブで自信を深めたのか、堂々とした歌い方ですごい気を感じ嬉しくなりました。ほんとに素敵な歌でした。ライブがますます楽しみです。
>おかつさん
歌詞チェックしてみました。最後からひとつ前のワンコーラスを飛ばして、二つ前のコーラス部分に最後のワンフレーズをくっつけて歌ったのではないでしょうか?
アルバムバージョンを全部歌うと7分以上になるから、それだと時間が足りないので、最後縮めながらも歌の雰囲気は崩さぬようにという配慮からああいう形をとったのだと私は解釈しましたが、どうでしょうか?
「逆向きのサブカルチャーの行方」興味深く拝読させていただきました。すごい分析力ですね!「なるほど〜」と思うことばかりでした。
bonyarihitsujiさんのおっしゃる通り、ENDLIの音楽が「本当の意味で『主流』」になったらステキですね。
私の思い込みかもしれませんが、15〜20年くらい前(光GENJIあたりまで)は、「ジャニーズ所属のタレント・歌手が好き」という人は10代の若い層が多く占めていたような気がします。しかし最近は、コンサート会場に行ってもわかるのですが、ファン層はとても幅広くなって、結構年配の方も見かけます。中には男性もいるくらいで。
特にENDLIはアイドル色をはずしてきているので、もっといろんな人に聴いてもらえるチャンスがあるんじゃないかなぁと思います。
偏見をもたないで「いい音楽はいい」と素直に聴けるひとが増えてほしいですね。
確かに一昔前!?のジャニーズのファンはもっと年代層が若かったですね。SMAPあたりから変わってきたかな・・・。
ENDLIのコンサート会場にも男性が来てくれるようになりましたね。この調子で変わって行ってくれたら素敵なことだなあと思っています。